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メンタルにまつわる自己理解について

【韓国映画】韓国女性監督作品おすすめ3選!

『パラサイト〜半地下の家族〜』が韓国映画として、アジア映画として、外国語映画として、史上初のアカデミー賞作品賞を受賞したのが2020年のこと。

冬ソナのヨン様でおなじみの第1次韓流ブームはもう2004年頃のはなしで、BTS、TWICEを筆頭としたK-POPのヒットが2017年からの第3次ブーム。2020年、Netflixなどの動画配信サービスにて韓国ドラマ『梨泰院クラス』『愛の不時着』が大ヒット。これが第4次韓流ブームと言われている。

日本と韓国。海外から見れば「アジア」と括られ、文化や人の気質などほぼ同じだと思われているだろう。たしかに似ている部分もあるが、大きく異なる部分もあり、お互いの視点から見ればやっぱり違う国だと感じているはずだ。日本映画とも違うがハリウッド映画ほど遠くない。「邦画と海外映画の間」そんな感覚で共感できる部分もあり、逆に文化の違う部分は面白く観られる。日本とやや近い感覚を持って観られるのが韓国映画であり、韓流の魅力である。

今回おすすめする3作品の共通点は「女性監督」であることだ。とはいえ、昔から好きだった作品と最近気になっていた作品を挙げたらたまたま共通点があっただけだが、韓国女性監督の映画は面白いものが多い。というのも、韓国映画は日本と比べて表現がエグいところがある。日本の生ぬるさと比較すると、引くほどの残虐性や気持ち悪さがあり、特に男性監督はエグ過ぎて観ていてキツくなったりする。その点、これらの女性監督作品はちょうど良いところを攻めている。社会に対してエグるように切り込んでいるし、心理描写も生ぬるさのないリアルな表現で「ちょうど良いエグさ」によって心を揺さぶられるのである。これはハッピーエンドなのか?と思うかもしれないが、観た後にはなんとなく心地良さが残るはずだ。

【目次】

はちどり

2020年日本公開
監督:キム・ボラ
https://animoproduce.co.jp/hachidori/

1994年
団地に住む14歳の少女ウニは両親と兄、姉の5人家族で暮らしている。両親は優秀な兄に期待し、自分には無関心。兄にはよく殴られ、姉は両親の目を盗んで夜遊びばかりしている。家族仲は悪く学校にも馴染めない。

思春期の孤独な心の揺れ動きをリアルに描く
14歳のウニの物語。

リアルというのは、14歳の少女の弱さやズルさをちゃんと描写している点だ。ウニはただのかわいそうな少女ではなく、ちゃんとズルいしサボるし自己中な態度をとる。努力してるのに報われない、というわけではない。愛されたいのに愛されないのは自分のせいでもあるんじゃない?と思わせる人物として描かれている。感情の浮き沈みが激しい思春期の悩みに、共感できるところがあるはずだ。

ある日ウニは、漢文の塾講師・ヨンジ先生に出会う。ソウル大の学生でもある彼女は、ウニの話に耳を傾けてくれる唯一の大人だった。しだいに心を開いていくウニ。ヨンジ先生は心の拠り所であり、憧れの存在となっていく。

この塾講師の女性、ヨンジ先生はとても魅力的だ。韓国映画におけるキャラクターは感情表現が激しい人物が多く、大体みんな怒ったり泣いたり叫んだりしている。対してヨンジ先生は物静かでクールでありながら、温かい優しさを持つ人。決して感情を露わにすることはない。柔らかな人柄がより際立っていて、ウニが憧れる人としてとても魅力的に描かれていると思う。

ウニはヨンジ先生に質問をする。

「先生は自分が嫌になったりしない?」

「何度もある。本当に何度も」

「自分が嫌になる時、心をのぞいてみるの。こんな心があるから自分を愛せないんだって」

ソウル大に通うエリートでも悩んだり自分が嫌になる時があるんだと、弱さを語る先生にウニは惹かれていくが、あるときヨンジ先生は突然ウニの前から姿を消した……。

特に大きな事件は起きない。誰にでもある思春期の日常を描いた映画である。ウニの繊細な心の揺れ動きを感じながら、共感したり、しなかったり。
やがてウニはどう変化していくのか、注目して観ていただきたい。

82年生まれ、キム・ジヨン

2020年日本公開
監督:キム・ドヨン
https://klockworx-asia.com/kimjiyoung1982/

韓国で130万部以上のベストセラーとなった小説の映画化作品。子育てに追われる主婦キム・ジヨンは思い通りにならない現実にストレスを抱え、自覚もなく心のバランスを崩していく。学生時代から就職、結婚、出産、子育てまでに女性が受けるさまざまな差別を通して、女性の格差問題と生きづらさを苦しいほどリアルに描いている。

同じ境遇にいる女性なら共感できることしかないだろう。

では男性は何を感じるのか?
率直に書いてみよう。

夫は働き、妻は主婦として家を守り子供を育てる。その価値観が古くさいものとなった現代で、男性は変わらなければならない。親になった瞬間から生活も夫婦の関係もガラリと変化していく中で、今までの価値観を捨てても順応する必要がある。自分を最優先にして生きることを止める覚悟も持たなければならない。

人は思い通りにならないことに苛立ち、ストレスを感じ、疲弊していく。

キャリアアップしたいのにできない。
結婚したいのにできない。
充分な収入が得られない。
眠いのに寝られない。
子供を預けたいのに預けられない。
働きたいのに働けない。
帰省したいのに帰れない。
好きなことをしたいのにできない
子供が言うことを聞かない


この作品を観てどう感じるかは、それぞれのライフステージや状況によって違うだろう。

本当の理想とは?
どんな社会になればいいのだろう?

すべての人が自分らしく、思った通りに生きることができれば、すべての問題は問題にはならないのではないか。女性が生きやすい社会、すべての人にとって生きやすい社会を目指すこと。すべての子供にとって自分らしく成長できる未来があること。それが本当の理想である。そのためには、すべての人がそのことを考えなければ実現は難しい。自分のことばかり考えていたのでは絶対に不可能なのである。

自分が思い通りに生きるために、自分以外の人のことを考えなければいけない。矛盾しているようで、それが核心ではないかと思ってしまうのだ。



うーん、なんか違う。

休みたいときに休みが取れて、やりがいがありストレスのない職場で、残業しなくとも充分な給料がもらえる仕事をして、家では機嫌がいい妻とかわいい子供が待っている。家事育児は分担し、協力し合って円滑に生活をまわす、感謝と笑顔が絶えない家庭。家族みんなでご飯を食べて、休日は旅行に行き、たくさんの思い出をつくりながら子供はすくすく成長する。少し手を離れた頃には妻もやりたい仕事で社会復帰して、それぞれやりたいことに夢中になれる。子供が自立し夫婦2人に戻った頃には、お酒を飲みながら思い出を語り合い、朝起きたら散歩に出かける。


…どうだろうか?
夢物語のようで笑ってしまう。

子猫をお願い

2004年日本公開
監督:チョン・ジェウン
https://eiga.com/amp/movie/1482/

テヒ、ジヨン、ヘジョ、オンジョ、ピリュの女友達5人は高校時代からの親友だ。卒業してからはバラバラになってしまうが、たびたび集まっては楽しく騒ぎ遊んでいた。両親を亡くし、祖父祖母と貧しく暮らすジヨンは仕事も失い無職となる。希望を失う中、商社で働くわがままなヘジョの振る舞いにジヨンは反発し、ふたりは険悪な関係になっていく。ふたりの仲をとりもちたいテヒは頭を悩ませるが、テヒも家父長な家庭に不満を募らせ、自分の存在価値を考える毎日だった。「子猫をお願い」とはジヨンが拾った子猫のティティのことだ。ジヨンはヘジョの誕生日にティティをプレゼントするが、今は飼えないと突き返される……。この子猫がキーとなり、5人の女性の友情と生きる道を描いた良作である。

テヒ役の女優ペ・ドゥナの出演作として2004年に日本公開された作品で、当時日本ではヨン様で韓流ブームに火がつき始めた頃だった。日本での映画出演もあるペ・ドゥナは、いわゆる韓国美人タイプではないが、コミカルな演技や何かに奮闘する女性役が良く似合う、個性派と呼ばれるタイプの存在だ。近年はハリウッド作品にも出演する国際派女優になっているが、この頃から人を惹きつける魅力は際立っている。「パラサイト」のポン・ジュノ監督作品『吠える犬は噛まない』もペ・ドゥナ主演作としておすすめしたい。

寺地はるな『水を縫う』

📘2022.10.27

縫い物が好きな男子高校生・松岡清澄。

調理と裁縫に長けていることで「女子力が高い」と言われ、女子からは「女子力高過ぎ男子」と呼ばれていた。


「女の子になりたいの?」
「男が好きなん?」


もう、本当にバカじゃないのか。
仮にそうだとして、だからなんだという話だ。
 

女らしいとか男らしいということ自体もよくわからない。


そんなめんどくさいもん、いる?

と思わずにいられない──。
 


女だから男だからと言うまえに
目の前のひとりの人間を知ろうとすること。


自分のことを知ってもらいたいなら
伝える努力をしなければいけない。


普通ってなんだろう?
女らしさ、男らしさとは?
 

姉は結婚し、秋にはこの家を出ていく。

正しい結婚相手を選び、正しく出産をし、正しく子育てをして正しく老いていくのだろう。


正しく、普通に生きていくのは
思っているほど簡単なことじゃない。
 

きらめくもの。揺らめくもの。
目に見えていても、かたちのないものには触れられない。

すくいとって保管することはできない。
太陽が翳ればたちまち消え失せる。

だからこそ美しいのだとわかっていても、願う。



布の上で、あれを再現できたらいい。
そうすれば指で触れてたしかめられる。
身にまとうことだって。そういうドレスをつくりたい。

着てほしい。すべてのものを「無理」と遠ざける姉にこそ。



きらめくもの。揺らめくもの。
どうせ触れられないのだから、なんてあきらめる必要などない。

無理なんかじゃないから、ぜったい。
 


「姉ちゃんのウェディングドレスを僕がつくる」
 


刺繍が好きな弟と「かわいい」が嫌いな姉。

結婚する姉に、ウェディングドレスをつくるまでの物語。
 

清澄と姉の水青、母・さつ子、祖母・文枝、父・全。家族5人とそして黒田さん。

織りなす糸は美しい刺繍となってやがてひとつの形となる。

この美しい家族のように。
 

流れる水は、決して淀まない。
常に動き続けているから、清らかで澄んでいる。


わかってくれなくてかまわない。
わかってほしいなんて思ってない。
ただ見ていてほしい。僕が動き続けるのを。
 

「僕が刺繍をするのは、刺繍が好きやからや」
 

さびしさをごまかすために、自分の好きなことを好きではないふりをするのは、

好きではないことを好きなふりをするのは、

もっともっとさびしい。
 

好きなものをまっすぐに好きだと言い
流れる水のように清らかに動き続ける
 

男らしさでも女らしさでもなく


ドレスを完成させた清澄が

ただただ、魅力的に見えた。

川村元気『百花』

📙2022.10.14

認知症になった母と息子の物語。

「もともと50年も生きることができなかった人間が、長生きするようになってガン患者が出てきた。ガンが治せるようになり、さらに長生きできるようになったら、今度はアルツハイマーが増えた。どこまでいっても、人間はなにかと戦わなくてはならないんです」
 

介護施設に母を預けることにした息子の泉は
家主がいなくなった家で母の日記を見つける。

日記をめくりながら、
忘れようとしていた記憶が蘇ってくる。

"消えたことになっていた" あの一年のことを──。
 

記憶がなくなってしまえば、
自分の子供のことも自分が誰なのかさえも
全部忘れて何も残らないのだろうか。
 

百花=多くの様々な花
 

百花繚乱、色とりどりに咲き乱れて
散った後には何も残らない花火のように
パッと咲いて散っていく
 

たとえ色や形は忘れても、誰と一緒に見て、
どんな気持ちになったのかは思い出として残る。
 

映画の方も観たいけれど
こんな物語は本当にずるい。

絶対泣いてしまうじゃないか。
 

辻村深月『島はぼくらと』

📕2002.10.10

夢中で読みました。
とてもとても面白かった。
 

瀬戸内海の小さな島・冴島
人口3000人弱の島には高校がない。
島の子どもは中学を卒業するとフェリーで本土の高校に通うことになる。

朱里と衣花、源樹、新の4人はともに冴島で育った同学年で、高校2年生。

帰りの最終便に乗るため部活には入れず
フェリーが欠航になれば学校に行けない

そんな4人の高校生を中心とした "限られた島" で暮らす人たちと島にやって来る人たちの、出会いと別れの物語。
 

島の子はいつか本土に渡る
高校を卒業すればそれぞれの道へ

友達も、それぞれの家族とも
一緒にいられる時間は限られている
 

4人の友情、親や家族との関係、
Iターン移住者との交流、進路の悩み。

登場人物一人ひとりの感情や葛藤が丁寧に描かれ、
エピソードを重ねるたびにどんどん引き込まれていきます。

引き込まれすぎて、実際に "島にいる" ような感覚になりました。
 

Iターンの島であると同時にシングルマザーの島でもある。さまざまな事情を抱えた者たちが島にはやって来る。

キーとなる人物が谷川ヨシノ。
すべてのエピソードに彼女が絡む。

彼女は国土交通省からの紹介で村長に雇われた
『地域活性デザイナー』
 

自分たちの仕事は人と人とを繋ぐ仕事なのだ。
 

島の住民と外部からの移住者を繋ぎ、島に住む人たちの居場所を作る。故郷でもない場所のために若さまで犠牲にするヨシノは何のために働くのか。
 

「──私が『さえじま』を作ったのはね、島のおばちゃんたちに、居場所を作りたかったからなんだ」

島に自分の仕事があるということは、そこが自分たちの居場所になり、島に残る理由になる。居場所があるというのはそれぐらい尊いことなのだ。
 

なんて魅力的な人物なんだろう
 

と思ったらこの小説は、実際のコミュニティーデザイナーさんとの出会いから始まったものだったのですね。
 
 

わたしも地方出身であり、
離島にも、ある期間住んでいたことがあって

地方に住むということ、故郷を離れること
外からやって来ること、それを受け入れること

それぞれの感情がわかる気がして
とても心が震える物語でした。
 

手元に置いておきたい小説

図書館本だったのですが
すぐに買いに走りました。

千利休の『侘び』の精神

茶聖・千利休

千利休は歴史上、とても興味深い人物です。

堺(大阪)の商人の家に生まれ、茶の道に入ったのは17歳のとき。23歳のときには「茶の湯」と呼ばれる茶会を開催するなど、茶人としての修行を積みながら、家業を継いで堺の商人として暮らしていました。

当時茶の湯というのは政治に大きな影響を与えるものであり、織田信長も関心を示し、みずからも茶道に打ち込んだそうです。信長は領地や金ではなく茶器を褒美に与えるほど、茶器の価値を高めました。「名物狩り」と称して堺で貴重な茶器を買い集め、高価な名物道具を茶会で披露することで富と権力を誇示しました。この政策に千利休も大きく関わり、茶頭(茶会を仕切る役職)として信長に仕えるようになりました。

茶聖・千利休が歴史の表舞台に登場するのはここから、50代になってからのことです。

豊臣秀吉との蜜月

織田信長の死後、豊臣秀吉も利休を信頼し、茶頭として重用するようになりました。秀吉も天下人に登り詰めていく過程で活用したのが茶会であり、それを任されていたのが利休だったわけです。

秀吉が利休と共に開催した大規模な大茶会「北野大茶湯」は今でいう音楽フェスのようなもの、いわば「茶の湯フェス」です。その一大イベントの演出を任されるほど、秀吉は利休を信頼し、ふたりの関係は強固なものとなっていました。


しかし、ふたりの追求するものには決定的な違いがあったのです。

なぜ秀吉は切腹を命じたのか?

「黄金の茶室」を作るなど、絢爛豪華を好む秀吉にとって、茶の湯は自身の権威を知らしめるためのものでした。

一方で、利休の追求した茶の湯とは、質素に徹する侘び茶でした。利休がつくり上げた茶室「待庵」は、わずか二畳のスペースの狭くて暗いシンプルな茶室。それが利休の追い求め続けた空間美の完成型だったのです。その計算し尽くされた構造は、画期的な茶室として以降スタンダードになっていきました。利休が確立した茶室の型は、現代にまで伝わるものとなりました。

こうした価値観の違いから徐々に意見も食い違い、秀吉と利休の関係性はしだいに悪くなっていきます。また、利休は人望も厚く多くの武将に慕われていたことも、秀吉にとっては面白くないことであったと想像できます。

そしてついに、秀吉は利休に切腹を命じました。千利休切腹により70歳で生涯を終えることとなったのです。

なぜ秀吉は利休に切腹を命じたのか?

これには諸説あり、理由は定かではありません。歴史上の謎です。しかし千利休という人物を調べていくうちに、こんな考えが浮かんできます。


千利休のセンスと人望に秀吉が嫉妬したから。


天下人である秀吉を上回る実力を持ってしまった。
だから切腹を命じられたのではないか?

そんな風に思えてくるのです。
それほど魅力的な人物だったのではないかと考えると、千利休はとても興味深い人物ですね。

利休の侘びの精神をもっと知りたくなります。
茶道もいつかやってみたいですね。

あの頃、パワハラなんて言葉はなかった

中学時代のサッカー部の話。

Jリーグが開幕してサッカー人気が爆発的に高まっていたのもあり、サッカー部に入部希望者が殺到した。

誰もがボールを持てばまたぎフェイントを繰り出し、ゴールを決めるとカズダンスを踊った。

そんな時代。

練習中は給水タイムなどなく、隙をみてはグランドに転がった生ぬるいペットボトルの水を争うように奪い合った。水ばかり飲んでいれば怒られる、いわゆる水を飲むなと言われた世代。

パワハラ」なんて言葉はなかった。

あれは中学1年の夏の終わり。3年が引退した頃。
顧問のF先生に呼び出され、サッカー部員は全員教室に集まった。

何事か?明るい話ではない。ただならぬ雰囲気だ。
なぜかスパイクを持って入ってきたF先生が口を開く。

「この中にタバコを吸っていた奴がいる。心当たりがある奴は前に出ろ」

静まり返る教室。
なぜ全員集められたのか理解した。

2年の先輩が1人、また1人と観念したように立ち上がっていく。同級生も数名続いた。

連帯責任で無実のキャプテンも前に出された。

1人ずつ質問される
「吸ったのか?」

「はい、吸いまし…」

バチーン!!

スパイクで殴られた。もちろん裏で。

間髪いれず腹に前蹴りが飛ぶ。
小柄な奴は軽々ふっ飛ぶほど強烈な前蹴り。

スパイクで次々に殴られていく。

無実のキャプテンも殴られる。
頬にスパイクの跡が残り、真っ赤に腫れていた。

みんな泣いている。
中学生にとってこれは事件だった。
あの衝撃的な出来事をみんな忘れることはないだろう。

「お前あのとき5mはふっ飛んでたよな?」
笑い話になるのは後のはなしだ。


「全員坊主にしてこい。できない奴はサッカー部を辞めていい」

部活を続けたいなら坊主になる。
それが条件だった。

F先生は顧問でありクラスの担任でもあった。
だからどんな先生かは解っている。

One for all All for one
(ひとりはみんなのために みんなはひとりのために)

それがモットーである。いわゆる熱血教師とまでは言わないが、まっすぐで熱を持った先生だ。
厳しいが怖くはない、基本的には優しい先生。

なぜスパイクだったのか?
平手でも良かったのではないか?

次の日曜日、私たちはまるで夏祭りにでも出掛けるかのように、みんなで待ち合わせて理容室へと向かった。

丸刈りになった姿を見て互いに笑い合う。
迷いはなかった。


結果、辞めたのはわずか1人だけ。サッカー部は全員坊主になった。先生も坊主になっていた。


スパイクで殴られ坊主にされる。
今ならありえないことかもしれない。
どちらかと言えば保護者が黙っていないだろう。
激しいクレームがあってもおかしくない。

でも、悪いことをしたから怒られた。
それだけのことだ。

坊主も強制されたのではない。選択肢を与えられて、自分達が選んだ。


先生が本気で伝えたかったことを、私たちは本気で受け取ったのだ。

One for all All for one

ひとりで生きてるんじゃない。
自分の行動は周りに影響するのだ。
だから自分の行動に責任を持て。

そんなメッセージが込められたスパイクに、
私たちはぶん殴られたのだ。

なぜスパイクだったのか?
それは先生の覚悟だったのではないかと思う。

平手で殴るよりもっと酷い、抗議されたら言い訳できないほど非道な方法で。教師を辞めることになっても仕方ないという覚悟を持って、本気で指導したかった。伝えたかった。

そんな想いだったのではないか。


側から見れば、現代ならパワハラと言われるかもしれない。

「そんなつもりはなかった。愛情を持って指導しただけだ」

自分の保身を考えるだけの言い訳なのか、
覚悟と熱を持って本気で向き合おうとしたのか。

25年前も現代でも、
それは子どもたちが一番よくわかっている。


数年前にF先生は中学校の校長になったと聞いた。
きっと今では時代遅れの、あの時の熱を今でも持ち続けているはずだ。

文章力はいらない⁉︎成毛眞『バズる書き方』

成毛眞 著『バズる書き方』を読みました。

成毛眞(66) 1955年札幌市出身 元日本マイクロソフト代表取締役社長 現書評サイトHONZ代表

この本では主に自身のFacebookの投稿を例に出して、before/afterで文章をより良くする書き方を丁寧に解説しています。

ひとことで言えばタイトルは

「推敲を重ねて文章をより面白くする方法」

なのですが、これではバズりません。

あえて『バズる書き方』として、手に取らせる。そして内容もしっかり期待に応えています。

「バズる書き方」とはこういうこと
なわけです。

この本も、成毛眞という人物も知らなかったのですが、少し前に気になる本があり手に取りました。

『2040年の未来予測』

タイトル、気になりますよね。
パラパラ中身を見ると、読みやすそうな内容と書き方だなと感じ、そのうち読んでみようと思っていました。

『バズる書き方』を読み終え、成毛眞に興味を持ち調べると、なんと『2040年の未来予測』も成毛眞の著書ではありませんか。

私が実際に本を手に取り、興味を惹かれたわけですから、図らずも『バズる書き方』の効果が実証されていたわけです。

文章に文章力はいらない、見た目が大事だ。

たしかに読みやすそうな構成でした。

点と点が繋がるようなリンクがあると、一気にファンになりますね。FacebookTwitterの投稿もいちいち面白いです。

成毛眞
気になる作家をまたひとり見つけました。